🔳 【高橋家住宅の歴史】

(写真:上は母屋左側、下は母屋正面)
高橋家住宅は、店蔵・大座敷・奥座敷・三階蔵・炭蔵・井戸小屋などを備えた、江戸後期を嚆矢とする建築群です。その配置は、商家店舗および住宅としての江戸から明治期の様態を、そのままに継承しています。神社仏閣を除き、川俣に現存する最古の建築遺構と推察されます。また表通りに面する庭園の松は「川俣一の松」として親しまれています。
建築の歴史:
嘉永4(1851)年、初代・高橋儀助が伊達藩の御典医である石川休仙から屋敷を購入しました。高橋家当主が代々書き残した日記『日嘉恵』によると、屋敷の建造は嘉永以前と推察されます。
当初は絹商人として呉服屋を営んでいましたが、後に味噌・醤油・酒の販売、さらには質屋へと家業を広げました。
安政2(1855)年には店蔵と居住部を建造。今では珍しい江戸時代の商家造り(店蔵 たなぐら)や、かつて養蚕を行っていた天井の高い座敷が今なお現存しています。
文久3(1863)年に大座敷、明治7(1874)年に炭蔵と裏門を順次建造しました。
明治9(1876)年には、中庭に現存する三階蔵を普請。土蔵は二階建てが一般的ですが、質草を保管するために珍しい三階建てとしたのが特徴です。
明治41(1908)年9月12日の東宮(後の大正天皇)による川俣町行幸を記念し、川俣小学校の裏山を開発。同町字草ヶ入に山荘「武陵園(ぶりょうえん)」を建造しました。この山荘には当時の文人墨客が集い、漢詩や俳句の会が催されました。
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