この一か月、開催しております「高橋家住宅 法人設立記念アート展」は、今週の土日 2026年5月16日と17日の二日間で終了となります。
これまでに、会場には高橋歌子が教師をしていた中学校の教え子さん、絵描き仲間、展覧会の印刷物を頼んでいた印刷屋さん、絵の関係の業者さん、など生前に親交があった方々が、おおぜい見に来てくださっています。ありがとうございます。

そこで、歌子叔母と川俣とのつながりについて、少しお話したいと思います。
(「歌子叔母」… 当法人を管理しているのは、歌子の「姪と甥」であることから、歌子叔母と呼ばせていただきます。)

左の二枚の写真は、歌子叔母と高橋園子です。65年前くらいかな?
この時は、川俣で二人でアート展を開催するとは思ってもいませんでした。

歌子叔母は、1921年(大正10年)川俣の絹問屋の家で誕生。
福島県立高等女学校を卒業後、川俣の絹絵が縁で上京して、日本画家の内弟子となる。
その後、1942年(昭和17年)女子美術大学 美術科(日本画科)を卒業。
戦争で帰郷後、中学校の美術教師となる。
福島県美展に出展・受賞。
川俣には、丸樹長三郎氏(1900年(明治33年)生まれ)が、「コバルト社」というグループで活動をしていたが、戦後の1948年(昭和23年)「ラ・パレット」(元、「コバルト社」)と改名。
歌子叔母は、その時に「ラ・パレット」の同人となる。
1979年(昭和54年)には、より町民が美術に親しめるようにと「川俣美術」へ改名。
歌子叔母はその事務局となり、なんと2009年(平成21年)までの30年間、88才まで事務局長を務めた。
そのほか、福島青年美術運動 参加、新制作日本画部 入選、個展も多数開催。
「川俣美術」は、「コバルト社」→「ラ・パレット」を経て、2025年に100周年を迎えた。地域の美術団体で100年以上続いているのは稀だと聞いている。
「川俣美術」は、丸樹長三郎氏から歌子叔母へと引き継がれ100年続けて活動をし、この町に多くの作家を生み出してきた。この功績は非常に大きいと思う。

歌子叔母は、2017年(平成29年)永眠(享年96歳)まで、絵を描き続けた。
歌子叔母を「川俣の生き字引」と呼ぶかたもいるほど、川俣の野山を歩いて絵を描き、川俣の町の景色を描き、川俣の歴史に関する話も詳しい。歌子叔母は、訪問してくれた方々に必ず「お茶飲んでいきな」と言ってくれた、と懐かしそうに思い出していた方がいました。本会場でも、その時と同じ部屋で、麦茶をお出しして皆様のお話しを聞かせていただいております。
今週の土日 2026年5月16日、17日で終了となります。皆様のお越しをお待ちしております。
駐車場は、高橋家住宅から徒歩1分の「街なか駐車場」(無料)をご利用ください。
【会場】
高橋家住宅蔵座敷
